だから独り言だって(しつこい)

私が仕事柄、人と会うのが大好きです。
いろいろな人と合うことをしないと、私の仕事は成り立たないと思っています。
でも誰とでも会いたいわけじゃありません。
「直接会って話し合いましょう」といっている人に

>文句があるのなら来て下さい。
>殴りたいのなら来て下さい。
>返り討ちにしますから。

などということを言う輩を「私は」人とは思いません。
こういうことを平気で言う人が「一応は社会人」なんですかね?

>僕を見くびらないでね
とかいっていますが、誰も「見くびって」なんかいませんよ。
蔑んでいるんです。
嘲っているんです。
見下しているんです。
Out Of 眼中なんです。
それと2日ほど前に書いたように、もう興味がないんですよ、私は(藁
それに私はアイドル好きだが熊田曜子ファンというわけではないし
銀座までの交通費を負担してくれるというなら考えないでもありませんがw
お金をドブに捨てるようなことは「モッタイナイ」w

一応伝言は伝えてあげましたから(お礼はいらないよ)
あとはどうぞご勝手に。

特定の誰かに言ってるわけじゃありません、あくまで独り言です(ヲイ)w

こういうことを書くと、
「だったらパブリック設定にするんじゃねぇよ、BOKE」
とか言う輩がいるでしょうが、それもお門違い。
自分の日記をどのように設定するかは私の問題。
自分と違う意見の人を排除するかどうかは、
あくまでもその人の度量の問題であって、
排除したからどうこうということは
誰にも言う権利はありません。
私は、別に私と意見が違うからというだけで
排除するつもりはありません。
議論(ディベートでもいいよ)をしたいのならいつでも受けてあげます。
ただし単なる揚げ足取りや重箱の隅をつつく話しかしないなら、
以前だったら同じことをやり返していたけど、
もうここwではそういう不毛なことはやりません。
発言も削除します。
それだけは覚えておくようにね。

単なる独り言です(藁

私のこの日記の設定は「パブリック」、つまり誰でも閲覧できる形になっています。
またコメントも基本的には誰でも書き込める形にしてあります。
ただしあくまでも『基本的』です。
どんな物事にも例外というものは必ず存在します。
「(パブリック設定なら)利用制限がなければナニを書き込もうが勝手だろ」
「(人のコメントを)勝手に削除するんじゃねぇよ、BOKE」
このような発言を平気でする輩は大きな勘違いをしているのです。
パブリック設定というのは何の利用制限もないことではありません。
この日記の管理人は私であり、私が削除をする、あるいはアクセスを制限すると決めたら、
そのことに対して、あなたは文句を言うことはできないのです。
「これは悪口じゃありません、意見なんです」
などと書いたとしても、その書き込みが悪口なのか意見なのかを判定するのは
日記の管理人である私で、あなたではないのです。
このようなことは常識以前の問題です。
私は基本的には私と違う意見の持ち主だというだけで
アクセスを制限するほど心は狭くないつもりですが、
そのようなことすら理解もしていない人間に対して門戸を広げるほど、
広くもないということは覚えておくようにw
というかその程度の認識すらない人は、
ネットに書き込みをするのはやめたほうが世のため、人のためです。

ちょっとまじめなお話wなど

もう7年ほど前に出た本ですが、こういう本があります。出版元は文藝春秋w←なぜ笑う
著者は大阪商業大学学長の谷岡一郎氏。最近では筑摩書房からこんな本も出版しています。
本の内容はタイトルをみれば分かるかと思いますが、テレビや新聞等で発表される種々の調査の数値を鵜呑みにすることが以下におかしいかについて書かれています。
この谷岡学長は、毎年入学式で新入生に「将来あなた方はマニュアルを作る人になりたいか、一生マニュアルに従う人生がいいか」と問うそうです。
ここで言う『一生マニュアルに従う人生』というのは、『何も考えない(=批判的検討ができない)人間』ということです。
最近、やたらとどこかで掲載されている数値やデータを持ち出してきて、ああだこうだと言っている人がいます。
なぜ、そんなに数値やデータを持ち出してくるかというと、自分の主張にまったく自信が持てないので、そういったものに頼るしかないわけです。
つまり論理的思考力0
そういう人間に限って、権威のあるというか名前のあるところで出された数値には絶対服従なんですね。
ところが数値とかデータというのはその背景などをきちんと踏まえたうえで使用しないととんでもない間違った結論に導くこともあります。
ニュートラルな立場で見ないでフィルターをかけたりしたら、その傾向はさらに強くなります。
ところがやたらと数値やデータを持ち出してくる人というのは、
往々にして自分にとって都合のいい数値を持ち出してきて、
フィルターを通して歪めた形で出すわけなんです。
言葉にしても同様です。たとえば、
○yata1959は少々短気だが、面倒見はいい
○yata1959は面倒見はいいが、少々短気。
実はこの2つの文章、同じ人間について書いています。
そしてどちらも同じことを書いているのです。
でも、言葉の順序を入れ替えただけで、受ける印象は180度変わってしまいます。
こういったことを理解せずに、やたらと数値やデータを単に羅列するだけで
「どう、ヲレって論理的でしょ」
みたいなことを言っている人を見ると、バカじゃないかと思ってしまいます。
自分の主張に自信があるのなら、つまらんデータを羅列するのはやめて
(しかもそのデータが実は何にも説明になっていないケースがほとんどw)
きちんと自分の考えを論理的に説明するようにしたほうがいいと思いますよ。
だからまず、プロピアに行って毛を3本植えてもらいなさい(藁

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